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心霊治療がインチキだと思う理由

   

私はなかよし医院でしか心霊治療を受けたことがないので、この記事の内容は主にそこでの事になるが、一般化できる部分も少なくはないと思うので、そういうものに興味がある人は参考に。

このページしか見てない人の為への前書きとして。
これは、自称霊能力者である荒牧僧侶と、彼女の力が本物だと信じる藤田医師と、私がどのようなやり取りをしたかという記録及び、それらについての考察である。

オカルトに対する私のスタンス

まずは私が、心霊治療(オカルト)について元々どう思っていたのかという話。

私は小学生の頃、道徳は「地獄先生ぬ~べ~」で学んだと言っても過言ではないくらい、あの漫画が好きだった(千作品以上読んだ今でも、私の中のベスト5に入っている)。
フィクションとして読む分には、スピリチュアルな物もそれなりに好きではある。
しかし、実際にあると信じているかと言うと、私の立場は中立から若干懐疑寄りだ。
私自身、不思議体験をしたことが全く無いわけではないが(こちらを参照)、超能力は手品で、幽霊は枯れ尾花的な勘違いだろうと。
それでも全ての超常現象が偽物だとは断言できない。
言うまでもなく、現在の科学は不完全であり、統一場理論が完成しないのは、そもそも力が4つしかないという前提が間違っていて、科学者たちがまだ観測できていない未知なる力が存在する可能性だってあるだろう。
なので、頭ごなしに否定する気はない。
だがしかし、自称霊能力者の話は、あまりにも自分たちに都合が良いように作られており、とても納得することができないのだ。

信じる気持ちが無いと難病は治らない

原因不明の病状は霊や呪いが引き起こしているというのが、向こうの主張である。
それを不動明王の力を借りたご加持というヒーリングのようなもので治すのが、私の受けた霊能治療である。
勿論、私の肩の痛みは変化せず、荒牧さんの側からこれ以上は無理だと言われて、ご加持が4回ほどで終了となった。
それから半年ほどだろうか、ご加持が効くという患者が増えてきたころ、予想通りにお布施と言う名で、治療代を取り始めた。
その頃になると、再び藤田先生からご加持を受けろと言われるようになった。
私は、以前受けても治らなかったのだから、やっても効果がないだろうと、断った。
すると藤田先生は、「信じる気持ちが無いとご加持は効かない」と言い出した。
初期の頃はそんな話はしていなかったのに、後から条件を足すとは、なおさら胡散臭い。
もし後付けじゃなかったとしても、やはり私は納得しなかっただろう。
例えば重力は、信じていようがいまいが、誰だって地面に引っ張られる。
未知の力の存在は否定しないが、信じなければ作用しない力がこの世界にあるとは到底思えない。
あるとしても、ご加持は信じなければ治らないのに、私の肩の痛みが呪いと言うのなら、じゃあ呪いは信じていなくても掛かるのか。
この時点で矛盾している。
私は論理的に無いと証明されていないものは否定しないというだけで、論理的に破綻している主張には、聞く耳を持たない。
その破綻をごまかす為に、最終的には「神の領域は人間には理解できない」で逃げる。
それが自称霊能者のやり方だ。

私は完全にご加持を疑ってかかっているが、それを口に出すと角が立つので
「信じなければ治らないんですか。じゃあ私は信じていないので治りませんね」
そう言うと藤田先生は
「信じれば治るので、信じましょう」
すかさずカウンターで
「信じるって、自分の意志で決めることじゃありませんよね?信じようとして信じますというのは、信じてないってことじゃないですか。だから、今の私では無理ですよ。今後、もし何かがあって自然と信じる気持ちになったら、その時にお願いします」
やんわりとお断りした。

“信じれば”という言葉は、自称霊能者にとっては非常に都合の良いものだ。
患者が治らなかった時、「あなたが信じていなかったからだ」と言い逃れができる。
信じていたと反論されても、「あなたは100%信じていなかった。わずかに疑う気持ちが残っていたから失敗したんだ」このように後から何とでも言えてしまう。
信じなければ治らないという人の話は、信じるに値しない。

信じる=お布施を払う

それでも信じるという患者が現れた時、その気持ちを示すためにはお布施を払う必要があると言われる。
お布施を払ったことが、信じたことの証なのだとか。
これもおかしな話である。
心の底から信じていたとしても、お布施を払わなければ、信じていると見なされないと言うのだ。
信じるとは、覚悟であり、それを示すためには、身を切らなければいけない。
その手段がお布施だと、あちら側は主張する。
金儲けの為の方便にしか聞こえないのは私だけだろうか。
覚悟を示すという意味では、もしも飛行機や新幹線でご加持を受けに来た患者がいたら、お布施は必要ない。半日以上の移動時間と、数万円の運賃というコストをすでに払っているからだ。
遠方の患者は、来るだけで十分な覚悟を示している。
だったらもうお布施を取る必要はないのに、ご加持料は全員一律だ。
また、覚悟を示すことは、金でしかできないのか。
「私は貧乏なのでお布施が払えません。代わりに生爪を1枚剥がして、神に捧げます」
個人的には1万円もらっても爪は剥がしたくないので、金額としてはそれ以上の価値があると思うのだが。
そういう人が来たらどうするのか、聞いてみたいと思っていたが、機会が得られずそのまま出禁になってしまったのが残念だ。

お布施の使い道

お布施が高額なのは、霊能を使うにあたって、金銭的なコストがかかるからだと言う。
お堂の建設や法具、そして毎回のお花代が馬鹿にならないと。
綺麗な花を捧げなきゃ、神は力を貸してくれない?
全知全能の神様が、花なんか欲しがる訳がない。
花を売ってる業者が、教祖様(荒牧さんの師匠)とつながっていて、支払われた料金の一部がそっちに流れるシステムになっていると考えるのが妥当だろう。

霊能力者は確率を操れる

以前、藤田先生はブログに超能力実験の記事を上げていた。こちらからリンクを張るつもりはないので(いつその記事が消されるかもわからないし)、興味がある人は自分で探してほしい。
内容を要約すると、霊能力(超能力)は波動エネルギーであり、荒牧さんはその力を使って、コンピューターの乱数を操作することができる。荒牧さんがソシャゲのガチャを引くと、メーカーの公称値よりも圧倒的に高確率で当たりが出る。荒牧さんは凄い。そういう話だ。
その記事を読んで、私は疑問を抱いた。
荒牧さんは恐らく、スマホに念じてガチャを引いたと思われるが、藤田先生は乱数が端末ではなくサーバーで生成されていることを知っているのだろうか?(じゃなきゃチートし放題)
また、メーカーの公称値よりも高いと言うが、たくさんお金を使うユーザーは、通常よりもレアアイテムが出やすくなるという設定になっている可能性はないのか?
更には、コンピューターは擬似乱数なので、エネルギーで結果を変えることはできないのではないか?(ソシャゲメーカーの仕様にも依るだろうが、アクセス時刻のマイクロ秒が同じならば、必ず同じ結果になるはず)
これについてどう思うのか?
批判と捉えられたくないので、前2つだけコメントしたところ(現在はその記事にコメント機能自体がない)、以下のような回答。
1:乱数がサーバー側なのは知らなかったが、念は空間を超えるので問題ない。
2:公称値と違ったら景品表示法違反でメーカーの信用問題。
これ以上突っ込むと、批判と捉えられるので、返信はしなかったが、おかしな話だとは思わないだろうか?
仮に念が空間を超えるとして、発信する側が対象を間違えていた時(どこにあるかも分からないサーバーに向けねばならないものを、手元のスマホに向けても)、乱数を操作するエネルギーが自動で正しい方に行ってくれるというのは、都合が良過ぎである。
景品表示法も、公称より実際の方が高い分には問題ないのでは?
これを以て、超能力があると結論付ける藤田先生の主張は、私は全く同意できない。

徳が無い人に神が力を貸すのか?

荒牧さんは先祖代々が徳を積んでいるので、強い力を持つと、藤田先生は言う。
個人攻撃をするつもりはないので、客観的な事実だけ書くが、手押し車を使って歩く老人患者がいた。
その人と共に私は、ふじた診療所の開院時間を、ドアの前で待っていた。
時間になり、荒牧さんがカギを開けて、ドアを半分だけ開き、挨拶をして、そのまま受付に戻った。
その瞬間、私は手伝ってあげないんだ?と呆れた。
これが徳のある人間の行動か?
手押し車が無いと歩けない老人が、重い扉を開けた状態をキープしつつ、段差を超えて手押し車と共に中に入るという事がどれだけ大変な事か。
案の定、そのおばあさんは一人で中に入れず、私が扉を開けてお先にどうぞとしたが(隙あらば良い人アピール)、この程度のことすら気が回らない人が僧侶を名乗るとは。

嘘つきはどっち?

藤田先生がコラボ治療をしていたカイロプラクターの田中さんが、荒牧さんに嫌われて追放されたのだが、その時にブログに書かれた内容もどうかと言う物であった(現在は何故か削除されていてもう読むことはできない)。
荒牧さんの話を聞いた藤田先生がそれを信じて書いた文章だと思われるが、田中さんの話によると、事実とは異なる部分ばかりであったらしい。
例を挙げよう。
1:田中さんはカイロ治療でアスリートを骨折させた。
2:田中さんの治療内容を見た整体師は、こんな危ない治療は自分にはできないと言った。
3:田中さんは上頚神経節ブロックなんて誰でもできると馬鹿にしていた。

それらに対する田中さんの言い分は、
1:フラダンスの先生が治療中に痛がった事実はあるが、その人をアスリートと表現することに悪意を感じる。骨折はさせていない。
2:荒牧さんが診療所の隣にお堂を建てる際に、今までそのスペースに入っていた事業所が退き、そこで働いていた人が失職したので、カイロプラクターとして弟子入りさせてくれと押し付けられた。その人にカイロの大変さを説明したら、自分には難しくてできないと言っていた。事実が捻じ曲げられている。
3:藤田先生との関係が上手くいっていなかった時期の荒牧さんが、深夜の電話で数時間愚痴ってきたときに、荒牧さんが自分で発言した内容。なぜそれを僕が言ったことにされているのか。

どちらか一方に肩入れする気はないが、私は田中さんが嘘を言っているようには思えない。
田中さんの難病患者へ向き合う姿勢に問題があるという、文章全体の論旨には共感できるものの、個々のエピソードが捏造されていた可能性は高い。

他にも、うなだれ首(首が上がらなくなり、常にうつむいた状態になってしまう、年寄りに多い症状)の患者で、田中さんのカイロと荒牧さんのご加持と両方を受けていたおじいさんがいたが、荒牧さんはその患者をご加持で治したと、藤田先生のブログに心霊治療の成果として掲載されている。
しかし、田中さんが言うには、以前から首を上げることはできたが、その日の体調でうなだれていたりそうじゃなかったりな状態だったと。
時系列で表すと
うなだれ首状態で上頚神経節ブロックを受け、治療後もそのまま→カイロを数回受けると、日によっては首が上がっている日がある→再び来院し、その日もうなだれ首状態で上頚神経節ブロックを受け、治療後もそのまま→次にうなだれ首状態でご加持を受けたら、治療後に首が上がった
これを、「どうやっても治せなかったうなだれ首を、ご加持で一発で治した」とする藤田先生と荒牧さんの主張に、田中さんは異を唱えている。

まとめ

結局、信じろと言うのであれば、例えば私の携帯電話をゾロ目の番号着信で鳴らすとか、トリックでは説明のつかないような超能力を目の前で披露すればいいのに、そうはしない。
私が疑ってかかると、挙句には「師匠は大学病院と共同でパーキンソン病の治療をしている」とか、別の権威を持ち出し、その情報は公表されているのかと尋ねると黙る。

疑わしい部分が多すぎて、私はとても信じる気にはならなかった。
ここに限らず、心霊治療を謳う治療院では、

1:信じなければ治らないと言う
2:超能力があると言いながら見せない
3:何かと金銭を要求する

これらの条件が揃っていたら、インチキと見て間違いないだろう。
命にかかわるような難病の人であれば、人知を超えたものに縋りたくなる気持ちも分からないではないが、ネットで誰もが情報発信をする時代に、本当の霊能者がいたら、その人の事はすぐ日本中に広まるだろう。
そうなっていないのは、霊能力者なんてこの世に存在しないからだ。
悪徳詐欺師に騙されないよう、冷静な判断を心がけよう。

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